消えたマドンナと少年の貞操

 ――さて。
 どうやらぼくは西園寺倫子さいおんじりんこさんについて、ぼくの知りうる限りすべてのことを話さなければならないらしい。

 西園寺倫子さんは現在花の二十一歳。
 月並みな言葉でいえば頭脳明晰容姿端麗、大学内ではその名を知らぬ者はいない孤高のマドンナであり、ちょっと特殊な“事情”をもつことでも有名な学部三回生だ。
 その美貌たるや、まさに弁舌にしがたい。ぼくらの大学では、世界三大美人といえば「エジプトのクレオパトラ、中国の楊貴妃、そして我らが西園寺倫子」というのが定説となっている。
 大学に入学した新入生は、まず単位の取り方やレポートの書き方よりも、西園寺倫子がいかに美しいかということを、ある者は目の当たりにして、ある者は勧誘されたサークルの先輩から学ぶことになる。それを知らないことには、いかにレポートで【秀】をとろうと、一人前の学部生として認められない。
 そう、彼女は美人だ。
 それも極上の美人だ。十人いれば十一人が振り返るほどの美人だ(一人は彼女見たさにどこからともなく駆けてくる)。
 ゆえに彼女はマドンナであり、ぼくらの一人寝の夜のイコンなのである。

 とはいえ、彼女は孤高だった。
 彼氏いない歴=年齢を絶対的な方程式として日々更新しまくっている。
 チャレンジャーな男性たちが愛を告白しても、バッサバッサと返り討ち。学内一の美形で某有名企業の御曹司というハイスペックなジュノンボーイでさえ、告白どころか自己紹介すらできなかった。チラリと相手を一瞥し、決まって彼女はこうのたまう。「ごめん、守備外」。
 別に彼女が男嫌いおよび同性愛者というわけではない。彼女はれっきとした異性愛者であり、その証拠に、「ああ、×××な彼氏が欲しいなあ…」と切なげに呟いている姿を何度も目撃されている。そしてそれを偶然耳にした学友たちは、青い顔をしてこう願うのである。
「ああ、どうか、我らが清きマドンナが犯罪に身を堕とさぬよう! 未来ある愛し子を背徳の魔の手から救い給え!」

 ぼくだって、彼女を崇拝するマドンナ信者として、もし西園寺倫子さんが欲求不満のあまり荒ぶる有袋類並にフリーダム化してしまったら、この命をかけて全力で阻止するつもりだ。
 幼児期の性的虐待は、人格形成に多大な影響を与える。ダメ、ぜったい。
 けれどもどうやら、ぼくはその使命を果たせなかったらしい。


* * *


「西園寺倫子さんが行方不明……」
 ぼくは呆然と目の前の男の言葉を繰り返した。
 大学の正門前。初夏の昼下がり。講義を終えてブラブラとバイトへ向かおうとしていたぼくを突然呼びとめて、その見知らぬ男はこう声をかけてきた。「――失礼だが、西園寺倫子について話を聞かせてくれないか?」。
 そして上記の衝撃的セリフである。
 彼はぼくの名前を確認し、一つ頷くとくたびれたスーツの胸ポケットから黒い革製の手帳を出した。その中身を見て、次には愕然となった。――警察手帳! 男はなんと、本物の刑事らしい。
「一昨日の午後四時頃に陣内小学校の校庭付近にいるのを目撃されたのを最後に、消息が不明でね。家族から捜索願が出されている。――きみは西園寺倫子とはサークルが同じで交友があったらしいね? 何か心当たりはないかな」
「小学校の校庭付近……」
「なんでも、思いつめた顔をして校庭のフェンスにしがみついていたらしい」
「…………」
「近所の住人に話を聞くと、これまでにも同じような姿がたびたび目撃されている。しかし、陣内小学校は西園寺倫子の自宅とは方向が正反対だし、彼女に兄弟はいないだろう?」
 中年の刑事は首を傾げながら、もう一度何か心当たりは、と繰り返した。
(心当たり……) 
 ごくん、と喉が鳴る。
 ――ある。めちゃくちゃある。
 が、目の前にいる人の良さそうなおじさんは、曲がりなりにも法の番人、正義を守るおまわりさんだ。その人物相手に、心当たりをバカ正直に話したら――
「君以外にも西園寺倫子と交友が深い子らに話を聞いてみたんだが、みんな要領を得なくてね。あーだの、うーだの、微妙な顔をして口ごもるばかりで」
「そ、そうですか……」
「捜索願を出した家族も、小学校での目撃情報があったあたりから急に非協力的な態度になるし……わけがわからんよ」
 ぼくはさもありなん、と内心で頷いた。そりゃあ、非協力的にもなるだろう。だれだって、自分の子供が犯罪者である可能性だなんて信じたくないはずだ。ぼくだって信じたくない。西園寺先輩が犯罪に手を染めたなんてそんな――そんなことあるはずがない!
 と、言えないのが非常に辛いです。
「実は、彼女とは別にもう一件捜索願が出されていてね。それが偶然、その陣内小学校に通っている子どもなんだよ。こんな同時期に市内で捜索願が出されるなんて珍しいだろう?」
「ゆ、行方不明なんですかっ、小学生が…?!」
「うん。それも一昨日からなんだ。部活動に出ていたのは確かなんだが、それから家に帰っていないらしい。ちょうど、西園寺倫子の目撃証言と状況が被っているからね、何か関係が――」
「……ちなみに、その子の性別は」
「男の子だが」
 あ、あああ……。

 刑事さんが怪しいと思うのも無理はない。ぼくだって同意見だ。というより、ほぼ確信に近い予感がする。近所の小学校の男の子が行方不明。同時刻に、その付近での目撃情報を最後に西園寺倫子さんも消息不明。
 状況を考えれば考えるほど、背中を冷や汗が伝っていく。恐れてきたことが、とうとう現実になった恐怖感。
(西園寺先輩………まさか、まさか、まさか、あなたって人は――!)
 いや、まだ希望はある。諦めるなぼく。
「えー……つかぬことを伺いますが、その子の年齢はおいくつですか…?」
「小学五年生だから――十一歳だったかな」

 はいドーン。
 犯人は先輩です! 西園寺倫子です!

 ぼくは回れ右してその場を今すぐ逃げ出したかった。ぼくの他に話を尋ねられたという学友たちも、みんな同じ気持ちだったに違いない。西園寺倫子さんは超絶美人で頭脳明晰、面倒見だってよくて、男女学年問わず人望も厚い。ただし、唯一の欠点はその特殊な“事情”もとい性癖にある。
 彼女の性的嗜好と犯罪の可能性を知っていながら事前に防げなかったぼくたちは、ある意味で共犯者といえるのだろうか。――ああ、神さま。そんなことって。
「どうしてそんなことを聞くんだ?」と鋭いんだか天然なんだかわからない口調で切り返されて、ぼくはいえ別にただなんとなくアハハハと蒼白な顔でごまかした。
 彼女に告白した数多の求婚者たち――そのすべてに光速で「守備外」と答えた理由を、ぼくは知っている。そう、彼女の守備範囲はおそろしく狭い。

 西園寺倫子さんは、月並みな言葉でいえば頭脳明晰容姿端麗。
 並ぶ者なき孤高のマドンナ。
 想いを寄せる者は多けれど、彼女の恋は成就しない。むしろ、させてはいけない。

 ――なぜなら、彼女は十歳から十四歳の少年にしか欲情しない美少年キラー、人呼んで平成のレディ・バンコランなのである。

 その証拠に、「ああ、長野まゆみ的美少年の彼氏が欲しいなあ……」と彼女が切なげに呟くのをぼくはしっかり耳にしたし、以前教えてもらった彼女の密かな夢は、「アウガルテン宮殿の掃除婦になること」なのだ。ちなみに、アウガルテン宮殿はオーストリアにあり、かの有名なウィーン少年合唱団の全寮制寄宿学校として、十歳から十四歳になる少年たちが日々歌の練習と勉学に励んでいる(セーラー服で)。あとでネットで調べてこの事実を知ったとき、ぼくは西園寺倫子さんはパネェと思った。あくまで「夢だけどね……あはは」と可愛らしく(ぼくはこのはにかむ表情だけでご飯三杯はいけると思った)言っていたが、奴はマジだ、と。
 そんな児童福祉法違反、未成年者への性的虐待、淫行罪、および誘拐罪予備軍の西園寺倫子さんが、消息不明になった。十一歳の小学生男子とともに。
 ――ああ、神さま!
 懺悔します。
 これはぼくの罪でもある。先輩に先月、「……田嶋くん、きみ、小四の弟いるってほんと?」と訊かれたときに、「いえいません」と咄嗟に嘘をつきました。先輩の目が怖かったからです。「なんだ。いるならちょっと貸してもらおうと思ったのに」とボソリと言われた言葉を聞いて、可愛い末弟のためにぼくは誇らしい気持ちになりました。ぼくはお前(の貞操)を守ったぞ、と。けれどもこんなことになるのなら、あのときぼくの弟を涙を飲んで人身御供にするべきだったのかもしれません。正直、西園寺先輩にあんなことやこんなことをされちゃうかも!?と想像して弟がうらやましかったのです。できることなら、ぼくがされたかった。

(西園寺先輩……)
 あれやこれやとしつこく質問されたが、ぼくは先人にならい黙秘を貫いた。
 たとえ西園寺倫子さんが性犯罪者になろうと、誘拐犯になろうと、ぼくはマドンナ崇拝者の一人であり、彼女の所属するミニシアター研究会の同志なのである。
 西園寺先輩は美少年のために。みんなは西園寺先輩のために。ぼくらの結束は固い。
 あーだのうーだの煮え切らないぼくの態度に「こいつもか…」という疲れた顔で溜息を吐いて、刑事さんは懐から名刺をとりだした。
「とりあえず、何かあったらこちらに連絡をくれ。きみの先輩が見つかるといいんだがね」
「ソウデスネ」
 棒読みな台詞に刑事はやれやれと頭を振って踵を返した。
 どことなく哀愁漂う背中を見送り、ごめんなさい刑事さん、と心の中で謝った。
 ――西園寺倫子さんのためなら、ぼくはよろこんで共犯者にもなろう。

 ジャジャーン
 風の中のすぅーばるぅ〜 砂の中のぎーんが〜
 きみはどこへ行ぃーったぁ〜
 みおくぅ〜られることもーなくー
 (BGM / 中島みゆき「地上の星」)

 見上げた空は目に痛いくらいの青さで、ああ、もう春はおわったのだなと思った。
 いつのまにか春は過ぎ、刺激的でクラクラとめまいがするような夏がやってきている。
 この美しい青空の下、今頃我らがマドンナは悲願達成に打ち震え、歓喜の涙を流しているかもしれない。それとも、己の犯した罪深さに気づき悔恨の涙を――流しはせずにやっぱり少年の膝小僧をさわさわしてたりするんだろうなあ。
 一つ息を吐いて、携帯をジーンズの尻ポケットから取り出す。待ち受け画面はひそかに西園寺先輩の寝顔だ(去年の忘年会のときに酔いつぶれていたのを盗撮した)。
 美しく、可憐で、たとえ少年愛好者であろうとも、たまらなくかわいいぼくらのマドンナ。

 あなたはいま、どこにいますか。

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